院生の穴蔵

院生の穴蔵。哲学/倫理学セミナー http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/

2008-07

バロック・啓蒙・賢者ナータン

 帯をみると、第三巻が本日発売予定なそうなので、周回遅れといったところですが、再びあの著作集の紹介を。

  『坂部恵集2 思想史の余白に』 岩波書店
 
 戦後日本を代表する哲学研究者のひとりにして、碩学の哲学史家・坂部恵氏の著作集、第二巻です。坂部氏については拙ブログでの第一巻の紹介の記事(「カント像の生成と継承」)を参照ください。「思想史の余白に」とのタイトルの通り、「大陸合理論→イギリス経験論→カントとドイツ観念論→現象学」という従来の硬直した哲学史像を相対化し、現在一線で活躍中の続く世代にも大きな影響を与えた、坂部氏による思想史関連の論考が十六本収録されています。

 第一巻の紹介の記事で、編集についての不満めいたものを書きまして、それは『理性の不安』に収められているものばかり入っていて、何であれとあれは入っていないんだ、という思いから出たものだったのですが、この二巻をみてそれも鎮まりました。ここに入れることになっていたのですね。『理性の不安』や『モデルニテ・バロック』に収められているもののほか、読んだことがあったのは、『講座ドイツ観念論』の冒頭の解説であった「ドイツ観念論と<ヨーロッパ世界の哲学>」、知り合いに教えられて図書館でコピーを取った『現代思想』一九八八年十月号の「統制的原理としての自由」、それと『「ふれる」ことの哲学』は恥ずかしながらまだ未読なので、古本屋で買い求めた昭和四十一年の『哲学雑誌』第八十一巻第七五三号・「カント哲学の研究」で読んだ「啓蒙主義と信仰哲学の間」でした(ちなみにこの号の『哲学雑誌』には大森荘蔵にはじまり、黒田亘、岩崎武雄、稲垣良典、原祐、山本信、宇都宮芳明、柏原啓一と戦後の哲学研究のビックネームがずらりと並び、迫力があります)。あとの二つの主題はカントに設定されていますが、最初の「ドイツ観念論と<ヨーロッパ世界の哲学>」はスケールの大きい論考で、この著作集か『講座ドイツ観念論』で一読することをお勧めします。素直な学部生時代に読んだ私は、「もう<大陸合理論+イギリス経験論=カント>という哲学史の図式は、二度と口にしてはいけないのか」と衝撃を受けたのでしたが、昨年講談社学術文庫から文庫化された、同じくカント研究界の重鎮である量義治先生の哲学史で、堂々とこの図式が使われているのをみて、また仰天したものです(量義治『西洋近世哲学史』)。まあ初学者向けの分かりやすい説明手段としては、いまだこの図式も捨てたものではないと私は思うので、坂部氏の哲学史像は、この図式に飽き足らない上級者向けということになるのでしょうか。昨年の熊野純彦著『西洋哲学史』に対する、様々なところからの反応をみても思ったことですが、初学者も玄人も満足させる哲学史を書くって、とても難しいことであるようです。

 図式的に、そして暴力的に近世・近代の部分だけを整理するすると、坂部さんの哲学史では、カントに対してはアンビバレントな態度を保ちつつ、ライプニッツを味方陣営の中心に、そして仮想敵陣営の親玉にデカルトを置くという布置(揚げ足とりをしておくと、坂部氏の若い頃の「「理性」と「理性ならざるもの」」では、一箇所でデカルトとライプニッツがひと括りにされて、ルソーやハーマンと対置されていますが)になります。そしてライプニッツの近くに、ヘルダー、ハーマン、ベンヤミンなどが位置し、ここに「バロック式人文学の香り高い精神史の裏街道」や「ラチオナリスムス全盛の十八世紀ただなかにあっての(中略)伏流水のおもいがけぬ噴出」をみるわけですが、味付けはともかく、具材が濃厚なものばかりなだけに、この一冊を通読しての正直な読後感は、ちょっと飽きたな、というものでした。まあでも、坂部さんのよしとするものの基準が、おぼろげながらみえてきたような気がするので、得るところは多かったです。やはり単に近代の硬直した理性主義に抗して、理性的ならざるものを持ち上げたいのではなく、上手く表現できないのですが、個が個として普遍に解消されえない独自性と自律性を備えながら、なお個体相互に排他的なシステムが作用することなく、むしろ個が個であることによってそのまま他者との浸透や連帯においてある、そのような思想に共鳴されるようです。だから理性主義には否定的だが、啓蒙というものに対してはそれほどでもない、という評価が出てくることになります。確かにこれは西洋近代の良質的な部分で、坂部哲学史像が提起している問題はかなり大きいはずです。ちなみに一本お勧めの論文を挙げておくと、私はやはり坂部氏の若い頃の、「「理性」と「理性ならざるもの」」が好きです。その結論に同意するかしないかは別にしても。

 これとの関連で、もう一冊。

  レッシング作『賢人ナータン』篠田英雄訳 岩波文庫

 メンデルスゾーンと並ぶドイツ啓蒙思想の代表的思想家にして劇作家、レッシングの代表的な戯曲です。ヒューム『人性論』などとともに、2006年春の岩波文庫「リクエスト復刊」で復刊され、新刊書のみを扱う本屋さんでも現在手に入るはずです。十字軍の時代のエルサレムを舞台に、ユダヤ人商人・ナータンに育てられたキリスト教徒の娘レーハと、サラディンに命を救われたキリスト教徒・神殿騎士の恋を中心に進むこの物語は、ラストで意外な結末を迎えます。いまもむかしも対立の絶えないユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共存の可能性を、「賢者」ナータン、イスラーム世界の名君主・サラディンなどの人物を通して探る作品となっています。

 さきの『思想史の余白に』には「『賢者ナータン』」という論考が収められているのですが、それをきっかけに、昨年買ったこれも読んでしまおう、と目論んだのでした。私の古い読書ノートの最初のページには、「これから読むべき本」のコーナーがあって、その先頭には<レッシング『人類の教育』>が掲げられているのですが、何を思って書き込んだのかすら忘れてしまった現在に至るまで、まだ削除されることなく、ぽつねんと残っています。とうとう『賢者ナータン』にまで抜かされてしまいましたね。

 この『賢者ナータン』は、ヘーゲル、ゲーテ、シラーなど、ある時代の一流の思想家たちが愛した作品で、とくにヘーゲルの初期の作品にはよく登場するため、いつか読んでおかなくては、とここ二年ほどずっと思っていたのですが、まあこういう教養のための読書も良し悪しですね。結末を知ってしまっていたので、戯曲の読書としてはあまり楽しいものではありませんでした。ですので、一応これからの読者のために、結末を書くことは控えたいと思います。まあ結末を知らずに読んだとしても、この程度の結末に感動するほど私はナイーブはないと思いますけど、でも、ねえ。それにさっき啓蒙は西洋近代の良質的な側面を含んでいるとか書きましたが、大司教のこき下ろし方とか、くどい台詞回しとか、サラディンとその妹のお人よし過ぎるやり取りとか、ちょっと私にとっては生理的に受け入れがたい要素ばかり並んで、全体的に不快な感じを受けました。やっぱりよくないですね、こういう啓蒙思想は。ともかく、好き嫌いが分かれる作品だと思います。

 たぶん『坂部恵集3 共存・あわいのポエジー』はもう書店に並んでいるのでしょう。そちらもゆくゆくはここで紹介したいと思いますので、『思想史の余白に』と二冊あわせてぜひどうぞ。

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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